昨日は松下育男さんのzoomでの詩の教室の日だった。ゲストは伊藤比呂美さん。
毎回ゲストの方は色んなお話をされるのだけれど、伊藤さんは意見の述べ方が率直な方。という印象。
私は伊藤比呂美さんが物書きを生業とされている方だということは知っていたし、テレビに出演されているのを観たこともある。
ただ、ご本人についてのことは詳しく知らない。だからお話された内容で驚いたところもいくつかあった。
松下さんは著作の中でも「いつも書けないことの隣にいる」と書いていらして、書かない、書けない時期が長かった理由をはっきりさせている方だけれど、伊藤さんにも詩が書けない時期があったということを話されていた。先日参加した詩祭でH氏賞を受賞された小野絵里華さんも長い期間、書けない状態であったことをスピーチで話してらして、そしてどうやらそれは詩を書くひとにとってはよくあることらしく、20年とか30年経ってからまた書き始めるということもあるらしく、勿論そのまま書かないでいるひともどうやら多いようで、このことこそが、ひとはどうして詩を書いたりするのか。という問いへの答えのような気がした。
参加者の詩の講評を聴くことは楽しみのひとつ。昨日は伊藤さんも時々加わって意見を仰るので、多面的な講評になり、いつもよりも更に考えさせられる時間が多かったように思う。
私は若者ではないから余計に松下さんが自ら云われる「きれいごと」が好きだし、それは切実なものだと受け止めている。
きれいごとが無い世の中は地獄だから。同時に伊藤さんの、プロの物書きとしての言葉への厳しさや態度にも深い誠意を感じた。
2023年7月23日
森色の詩誌『hiver』を春色の葉ね文庫カバーで包んでいただいて、毎日持ち歩いて読んでいるうちに桜が咲きはじめてきた。この本は特に何度も繰返し読んだのが糸井茂莉「これは詩ではなく、」時里二郎「伎須美野」峯澤典子「野茨」。髙塚謙太郎「沈黙」は読むというより聴くと表現したほうがよく、どこからでも自由に読める。読む度に変わってゆく音楽を愉しむ。
とても美しい詩誌で完成度が高い一冊。でもとても控えめな佇まいを持っている。これは峯澤典子さんの一種の勇気のようなものの表明であるのだろうか、とも思った。
2023.3.24
初めて詩の合評会というものに参加してみる。
主催は海老名絢さんという詩人の方。少人数だったので、初心者の私には有難く、
素朴な質問もしやすかった。
一篇の詩を仕上げるのに、皆さんかなりの時間をかけておられる。
川柳を書く時、何度もやり直して時間をかけて作り上げる句と、そうでない即吟の句が
あって、句会メインで作句する場合は瞬発力が必要なので、じっくり取り組むことが
近年少なくなっていたように思う。(ここ数年のコロナ禍でリアル句会には参加していないけれど)詩を書く場合は、何度も見直ししてはいるのだけれど、もうちょっと寝かせておく癖をつけたほうがいいなと思った。冷静に自分の書いたものを読むにはもっと訓練が必要。
私は最果タヒさんは良い意味で上等な工芸品をつくる職人さんのようだと思うのだけれど、詩を長く書いている方はどんな印象なのか興味があっていろいろ質問してみたり。
ひとと直に会って興味のある物事のお話をする、という時間はいいものだなと改めて実感した一日。
2023.3.4
数年前に図書館で最果タヒの詩集を読んだ。装丁が美しく、綺麗な本だなあと心惹かれて。
その時は、あまりピンとこなかった。ただ、才能のある詩人なのだということだけを認識して別の著作も読んでみようという気にはならなかった。
つい最近たまたまSNSで詩の展覧会を開催していることを知り、どんな風な展示なのか興味が湧いて出掛けてみた。
梅田のHEPFIVE最上階に上がるのは一体何年ぶりか。観覧車に乗ったのは開業当時なのだから随分昔のことだ。
阪急ファイブだった頃、子供の頃から二十代までしょっちゅう来ていて、改装したとたんに来なくなったのだった。
けれど最上階には忘れ切っていたはずの昔の空気(昭和後半から令和の初期感)が漂っていて、意外な気がした。
展示内容がまた予想よりも面白くて、詩になる直前の言葉がたくさん目に入る展示スペースに吊り下げられた言葉には、ユーモアが溢れていた。詩集からはシリアスな印象が強かったのだけれど、展示内容には「笑い」の要素も多く含まれていて、素直におかしかった。後半の展示にはぴりっとしたものが続くのでメリハリが効いている。
思わず著作を3冊購入してしまった。チケットにも小さな詩集が付いていたので(オマケには弱い)計4冊。
このひとの本、売れるわけだよね。と納得。
そして初めて「エモい」としか表現できない世界観があるのだということを理解した。最果タヒはエモかった。
2023.2.23
先週の通勤のお供は蜆シモーヌ第二詩集『膜にそって膜を』(書肆 子午線)。
厚手のノートブックのような装丁で、手触りは軽やか。電車で立ったままでもとても読みやすかった。所謂<詩集>っぽくない造本なので、何かのテキストを読んでいるように見えただろうなと思う。
構成はとても音楽的で、一枚のレコードを聴くような感覚で読んだ。
特に好きだと思ったのは以下。(全部素敵なのだけれど)
「ピアノ」「感性」「時代」「ぼくたちのことばが転んだとき」
はっきりと主張されてはいないものの、これだけ自己の世界観が強烈に確立されている書き手の作品にさえ、昨今の世界で起こっている様々な出来事が反映されていることが感じ取れる。かなしみとは違うけれど、強い決意も表明されている。
もう一冊は武田地球『大阪のミャンマー』(しろねこ社)。
タイトルが面白いので購入。この方の詩は読んだことがなかったのでちょっとどきどきしつつ読んだ。
どの作品も、タイトルの付け方が秀逸だと思った。こういうセンスの良さは羨ましい限り。
「大阪のミャンマー」「カンボジアの果物係り」「戦争のすこしまえ」「わたしの龍」「きいろ」が印象的だった。
同じ週に二冊の詩集を読んだので、どうしてもその2冊を比較してしまう。全然違うものなのに。
やはり第一詩集、というのは特別なものなのだ。詩集をつくることについて考えさせられた。
2023.2.12
松下育男さんの講演会があるので久しぶりに神戸へ出掛ける。
会場近くの喫茶店でケーキセットを注文すると、とても素敵な器に珈琲が淹れて
ある。いい器だなあと思いながらケーキと珈琲をいただいた。もう一杯軽めの
ものが飲みたくなり、おすすめの豆を教えてもらう。二杯目の器も素晴らしく、
思わず受け皿を外してひっくり返し、茶器を鑑賞するようにじっくり眺めた。
会計をする頃には客が私しかいなかったので、店の方に珈琲茶碗について質問を
してみたところ、別の器も出してきて下さり、丁寧に説明をしていただいた。
有難いなあと感謝しつつ店を出て会場へ向かう。
詩を書き始めたのはコロナ禍がきっかけだから、閉じた生活環境でスタートして
いる。松下さんのZoom教室には参加させていただいているけれど、どれだけ参加者がいても実際にお会いしたことがない方ばかり。今日は初めて、詩に関わりを持っている生身の人間のかたまりに触れることになった。
自分より年上のひとが多いんだな、と思った。その中でココア共和国でおなじみの
入間しゅかさんが来ておられることが質疑応答の時にわかったので思わず後から
話しかけにいってみた。びっくりされただろうけれど、少しお話することができて嬉しかった。
わたしはまだ、詩を書いているひと、というのが物珍しくて仕方がないのだ。
今日の講演会で松下さんは「詩人」と呼ばれることに違和感があると言っておられたけれど、なんとなくわかるような気がした。
会場付近は学生の頃、しょっちゅう歩いていた道筋のすぐ近く。神戸の街は変わってしまった所のほうが多いけれど、道筋だけはさほど変わっていない。懐かしいような、すこし痛いような気持ちで、美味しいパンを買って帰った。
2022.10.2
興味を持った作家の本はできるだけちゃんと買って、読みたいと思う。
読むのに時間がかかるので量は進まないけれど、詩集を読むのはゆっくりで
全然いい。
松下育男さんのTwitterや詩の教室で紹介されていたノブセさんの詩集。
十篇の詩が掲載された可愛い一冊。本というよりも冊子に近い感じ。
十編すべてのクオリティが高く、読んでいて気持ちが良い。
こういう詩集の作り方もあるんだなあ、と感心してしまった。
この詩集はあまりたくさん作っておられないようで、きっと何年か後にまとまった形で本にされるのかもしれない。
2022.7.31